月刊 原田教正
1月
"いきなり休刊"
2024年から唐突に始まった”月刊”シリーズ。昨年は秋野ちひろさん作品をラインにオンしました。一年を通して移り変わる心情とともに制作していただき、かたちと言葉を交わしながら往復文書のような12の作品が出来ました。これで終了かと思いきや、別の連載が始まります。次のメディウムは写真。しかし早くも諸事情につき1月はお休みになり、エピローグのみお届けします。
昨年の11月、毎月一点という連載に惹かれたと原田教正さんからメールをいただきました。そこで即座に当企画にお誘いしたところ、とんとん拍子に進みました。実は受け継いでくれる人を探していたのです。
少し先にぼんやりと存在する自分の影を掴めないもどかしさ。それを追いかけることで現象は生まれる気がしています。今年に大きく制作拠点を変えようとしている原田さんが、未来や過去を内包する今を見つめ、どう記録するのか。まず最初の観客になれる私が一番楽しみにしています。
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月刊 原田教正
1月
Monthly Kazumasa
January
いきなり休刊
ベルリンから帰国し、時差に身体を慣らし、溜まった写真を整理する毎日。恋しくなると思った日本食をさほど欲することもないまま、なんとなく、ベルリンでの食生活を日本でも維持している。朝はサラダを食べて、お昼は抜く。夜も炭水化物は極力控えて野菜中心のメニューで自炊する。誰かに会うのは、必要な時にだけ。ルーティンは好まないが、日々の連続性は常に重要視している。日本に戻ってから新たについた癖で、毎朝5時半前後に目を覚ます。太陽が上り部屋に光が差し込むのを、影を、じっと布団の中から追いかける。寝ても覚めても、絶え間ない光の運動の、その中に生かされているのだと実感する。だからこそ、時折曇る日には妙に安心するのだ。
「写真」は、あらゆる出来事の連続性の中に潜んでいる。決定的瞬間は事前と事後の間であるし、エモーショナルは獲得と喪失の合間にある。言い換えれば、そこには提示されなかった前後も存在し、それらは明かされることなく時間は今もなお進み続けている。写真が提示できる時間は、人の生涯の長さから数えれば、あまりにも極僅かだ。写っていない時間にこそ真実があるのではないか。
どうしたら、写真は事前と事後の時間を内包し、真実に近づけるのだろうか。私にとっての写真は、その疑問の解を得るための研究課題である。その思考のプロセスを、ディアゴスなんちゃらみたいなキットにするイメージで、毎号届けてみようと思う。
原田教正 | Kazumasa Harada
1992年東京生まれ。2016年に武蔵野美術大学映像学科卒業後はコマーシャルフォトグラファーとして活動する傍ら、積極的に展覧会や写真集の制作を続けてきた。2020年には初の写真集『Water Memory』を刊行し、その後『An Anticipation』『Obscure Fruits』などを刊行。2023年にはベルリンでの滞在制作を経て『時間の園丁』(南青山information)での展示や写真集『My origin photographs』を新たに刊行。2025年9月から本格的に制作拠点をベルリンに移す。
https://www.kazumasaharada.com/
photo:Kazumasa Harada